鑑定刀の写真集

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2003年10月12日の出題刀
刀の先に日月を良く焼くのは大阪の三品一派ですが、この刀は康継入道以南蛮鉄、於武州江戸作之と表裏に銘のある越前刀でした。
ぬぐいをする前でしたので沸粒がはっきり見えます。ハバキには桐紋が彫られていました。
中直刃の刃境が良く沸えた打刀で、肥前国住近江大掾藤原忠廣と太刀銘にきった2代肥前忠吉でした。現存の肥前刀の大半はこの2代。沢山のお弟子さん達と皆で作刀したのだそうです。
なお3代陸奥守は若死したので作刀本数が少ないようです。


2003年1月25日の鑑定刀
       
江戸、大阪と並ぶ新刀期の三大産地である肥前の脇差。
トウラン風の乱れで大阪ものかとも思いました。
が、刃中の沸が素晴らしく地が綺麗なのですが、良く見ると梨の粒々のように肌だっている感じで肥前刀の特徴が見えました。
南蛮鉄を使うために地肌が違うのだそうですが、当時、佐賀の地には越前福井とともに、南蛮鉄の着く港がありました。
銘は肥州河内守藤原正広。
神奈川県の重要美術品約20のうちの一振。反りの高く、鎬高い末備前定寸の刀でした。
銘は備前国住長船源五郎清光。
裏には天文二十年八月日。
この刀にも刃中に葉と呼ばれる沸粒がありました。
末備前で「備州長船清光」などと簡単な銘なら数打ち物ですが、源五郎と俗名まで明記した入念作でした。


2002年12月8日の鑑定刀、鑑賞刀
    
本日のテーマは柾目鍛え。
春から始まった市民刀剣教室もだいぶレベルが上がってきました。

採点刀はウブ中心の脇差。
帽子は掃きかけており、仙台国包の特徴の良く出た作でした。
       柾鍛えの短刀。
柾目を得意とする大和の刀工集団の中でも、柾の特に強いのが保昌一派。その中から保昌貞宗の一振りでした。
制作年代は吉野朝期でしょうか。


2002年11月10日の鑑賞刀、鑑定刀
 

      
「相州住元重」銘の皆焼の脇差
備前の元重は有名ですが、相州元重は銘鑑漏れ。
飛び焼きの回りも中も沸えのすばらしい作でした。
大きな沸え粒が刃ぶちにいっぱいの長刀。
5寸もスリアゲたのでしょうか、「大和国包氏」と本阿弥光遜の金粉銘。江戸期なら金象嵌とするのが掟だそうです。
「肥前国住近江大掾藤原忠広」と太刀銘の刀。
肥前刀らしく先細りの姿の良い作でした。


2002年9月8日の鑑定刀
三本杉の刃紋がはっきり。中でも刃幅が広いのが特徴です。
反りの少ない寛文頃の新刀で、
大和守源兼信作。
沸え出来で、粒のひとつひとつがやや黒ずんでいるのは美濃物の特徴。
相州物なら沸え粒は白く、刃紋は冴えているので区別がつきます。
兼氏と本阿弥極めのついた作。大スリアゲ無銘なら金象嵌とするのが定めです。
箱がかった処のある乱れ刃紋の中に沸粒があちこちに密集する。
銘は「備前国住長船孫右衛門尉清光」とあり、「於天神山為浦上与次郎宗景末代作之」、「永禄八年二月吉日」と為書のある入念作です。
2002年5月12日の採点刀となった両刃の短刀と揃いでしょうか。


2002年6月9日の採点刀。
相州厚木住靖次作の脇差。ウブ刃となっていました。


靖次刀匠は病気にて1990年代に亡くなられましたが、本業は土木(砂利採集業)、金田にて鍛錬所を開設し作刀。稲村ケ崎にて砂鉄を採集、自家製鋼で複古刀を研究。
「相州厚木住靖次 鎌倉稲村ケ崎砂鉄以造之 昭和六十二年八月吉日」
と銘を切った刀もあります。

師は増田靖要刀匠。戦時中靖国神社境内にて陸軍刀を作刀し、一時作刀を中止していましたが昭和四十年頃茅ヶ崎にて鍛錬所を開設、再度鍛刀を開始。
一番弟子に正宗二十四代孫綱広、二番弟子に靖次、三番弟子に靖俊が居ます。


2002年5月12日の採点刀。
ほとんどが末古刀期の作といわれる両刃の短刀が本日の採点刀。反りがなければ密教法具などの剣で製作年代はずっと古い。国宝に金剛寺阿観上人の持物と伝わる三鈷杵柄の剣があるが、平安中期以前の作という。
採点刀のように反りがあると「鎧通し」ともいい、戦国期の組討で鎧の隙間を刺したりするのに多用された。過半が備前刀だそうだが、今日は乱れ両刃の祐定とならぶ直刃両刃の名手、「備前国住長船清光」の作だった。「天文21年」の年紀があるので、30人といわれる清光のうち五郎左衛門の頃であろうか。
「為菊若作之」とあり戸田松城の若君への為打ちであることの知れる入念作。美しい!!
直刃の刃紋の中には沸粒の小さな塊である葉がしきりに入ります。


    
2002年3月10日の採点刀は古一文字。
福岡一文字の祖、則宗の伝来のある重要刀剣です。
スリアゲてますが、素晴らしい乱れ映りと優美な公家太刀姿が印象に残る一振りでした。
もう一振りの逸品は4号刀の細身の脇差し。乱れ刃紋の縁は沸え、地鉄は綾杉風の渦が散ってました。
銘は千年山麓於霞城英国作之。
霞城とは山形城のこと。山形出身の新々刀の巨匠、水心子正秀の若打ちでした。


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